ゲームの改造はなぜダメなのか?

(2018/01/21)
どうも。おっさんのおがです。

OPENRECでスプラトゥーン2の生配信を見ていてゲームの改造についての話題が出たのを聞いて、
ゲームを作る仕事をしているおっさんの立場から「なぜゲームの改造はダメなのか」について書きたくなりました。

「違法とされているから」とか「オンラインゲームだと他人に迷惑がかかるから」とかそういう話ではなく、
改造するということの意味についてもう少し突っ込んで語りたいと思います。

まずは「ゲームが楽しい」と思える理由についてなのですが、
ゲームというのは「ゲームバランス」「ゲーム性」が楽しさの根源です。
例えばゼルダBoWが面白いのは、それらが神がかったレベルにあるからです。

1. 世界のどこを歩いていても「あれなんだろう?」が見えてくるオブジェクトの配置

2. 「あれなんだろう?」を見に行くと、道中に適切な苦難が用意されていて、その苦難を突破したことに見合った何かしらの発見や報酬が用意されている達成感や充実感を得られるような「ゲームバランス」

3. 敵を倒す、目的地に到着する、そのために工夫できる手段のバリエーションが無限に感じるほどの「ゲーム性」

そういったゲーム製作者の丁寧なゲーム設計が「面白さ」を作っています。

逆に、つまらないゲーム、いわゆるクソゲーとは「ゲームバランス」「ゲーム性」が低レベルなゲームのことです。
1+1を延々と計算させられるゲームがあったとしたら、それは間違いなくクソゲーです。
興味をそそられる目的もなく、工夫の必要もなく、工夫の余地もなく、達成感もない。

それを踏まえて、ここでおっさんが改造はダメだと思う理由その1を言いますと、

「改造とは、ゼルダBoWを1+1を延々計算するゲームに近づける行為」

だと思うのです。

神ゲーをクソゲーに書き換えて行くことが改造という行為です。

試しに、ゼルダBoWを改造してみましょうか。
1.スタート地点に全部の祠とコログ発見をクリアしたと同等の内容の宝箱がある
2.全ての敵から受けるダメージが0になり全ての敵がたいまつの1撃で死ぬ
3.全ての地点に自由にワープできる

だんだん1+1に近づいてきたように思いませんか?

ちなみに、この観点で言うと、改造によってクソゲーを神ゲーに変えられる可能性もあります。
敵が弱すぎて難易度が低く感じられるゲームがあったとして、
そのゲームを改造して「敵を適切な強さに書き換える」ことによって楽しく遊べるようにできるからです。

例えば、テイルズシリーズでは2周目以降に改造に近い要素を組み込んでから再スタートしたり、敵がとんでもない強さになる難易度が選択できるようになる機能が入っていますが、こういったゲームバランスやゲーム性をちょっと変えて遊び味を変化させることに改造を使うとゲームを楽しめる幅が広がります。

そうやってゲームを楽しむために改造を使うのは、おっさんとしては歓迎すべきことだと思っています。

しかし、オンラインゲームの場合は少し話が違います。
記事の冒頭で少し触れたように、「違法とされているから」とか「オンラインゲームだと他人に迷惑がかかるから」という話になってきます。

オンラインゲームを改造するのは「電車の椅子を壊す」もしくは「勝手に首枕を縫い付ける」ような行為と同等です。
直せなくはないし対策できなくもないが、サービス提供者がそのコスト分を余計に支払わなければならない。
だから「器物損壊」のような形で違法とされます。

オンラインゲームというのは「ゲームバランスやゲーム性という場所を貸している」のです。
サッカー場を借りてサッカーをしたとして、「芝を抜くのが楽しいから芝を抜いて遊びました!」となったら、
もう他のユーザに貸すことができなくなります。
これからもたくさんの人に貸して楽しんでもらって対価をもらおうと予定していたのに、それができなくなりました。
元に戻すための費用と時間などの損失分を弁償しろということになるでしょう。

オンラインゲームにおける改造という行為はそういうことです。
絶対にやめましょうね。

以上。おっさんのおがでした。